故 小谷純一 略歴
1910年(明治43年)3月21日生。京都帝国大学農学部卒業後、全国各地の農民道場の創設に参与し、肺結核に倒れ、医師からあと2ヶ月の生命と言われたが、玄米正食療法によって起死回生。大阪府立農学校教諭、和歌山県青年師範学校教授を歴任。敗戦と同時に教職を辞し、念願の百姓になり、水田90a・畑50aの自家経営をしながら、自宅を開放して愛農塾を開設。これが発展して全国愛農会となり、三重県青山町に愛農根本道場(愛農高校の前身)が創立される。機関誌「愛農」、「聖霊」誌などを創刊。愛農短期大学講座、聖霊信仰大会、聖書研究短期大学、を開催。1964年から12年間、愛農学園農業高等学校初代校長をつとめたのち、同学園長に。2004年10月1日昇天。
小谷純一書籍
『愛農救国の書』全国愛農会発行、1950年
『愛農救人類の書』全国愛農会発行、1958年
『小谷純一信仰著作集(上)』聖霊社発行、1997年
『小谷純一信仰著作集(中)』聖霊社発行、1998年
『小谷純一信仰著作集(下)』聖霊社発行、1999年..
3月21日に和歌山市小豆島にて、小谷茂一、タケノの長男として生まれる
京都大学農学部卒業
坂部和子と結婚、1年後第一子が生後3日目に召天、献(ささぐ)と命名。 その後夫婦そろって肺結核に倒れ、闘病生活に入る。医師からあと2ヶ月の命と診断されたが玄米正食によって起死回生
大阪府立農学校教諭及び、全国各地の農民道場の創設に参与する
長男 寿一誕生
長女 惠子誕生
和歌山青年師範学校教授を歴任
敗戦と同時に教職を辞し、水田90a 、畑50a の自家農業経営に従事
教え子16人と共に和歌山市の自宅で愛農塾を開設
自宅を本部として愛農会を創設、会長小谷純一。
機関誌「愛農」創刊
次女 道子誕生
「愛農新聞」第1号発刊、8月、第1回求道者信仰講習会開催
「愛農救国の書」を著す。愛農会本部刊行
祈りの中で示された会員の信仰通信「聖霊」誌第1号発行、(ガリ版刷)
社団法人全国愛農会創立総会開催、会長小谷純一、副会長山本哲夫
愛農根本道場開設(後に長期根本道場と改称)
愛農会事務局を小谷宅から三重県那賀郡青山町の現在地に移転(現在は伊賀市別府)
第1回愛農短期大学講座、花嫁大学講座開講(1977年に両講座が合流し、愛農大学講座と改名、今日に至る)
「愛農救人類の書」を著す。愛農会本部刊行
第1回夏期聖書研究会開催、以後、毎年1月と8月に開催、今日に至る
愛農会会長を退任し、以後は学園長として教育に専念
愛農学園農業高等学校設置認可、学校長に就任
愛農学園農業高等学校開校式及び入学式挙行
聖霊誌巻頭言に「憲法九条を死守せよ」を創始者の遺言として執筆
愛農青年全国決起大会(群馬県を主会場に開催、青年会問題)開催
第27回聖書研究会で、梁瀬義亮氏を迎え「除草剤、化学肥料など農薬公害について」警告を受け、以後無農毒有機農法に転換。
愛農誌に「愛農運動の本質と今後の課題 日本民族の生命を毒の洪水から救う道」を執筆
愛農シンクタンク研究会を提唱、第1回研究会を開催。元敬善氏らの招きを受け訪韓、農民有志に講演
韓国再訪問、「韓国正農会」誕生
インドに有機農業をという牧野一穂氏の要請を受け、インドプロジェクト開始
愛農会創立50周年の集い開催、同12月正農会創立20周年のため訪韓
第1回韓日交流研修会、以後韓国と交互に開催(愛農会本部)
小谷純一米寿祝賀会(同窓会)開催。「小谷純一信仰著作集(上)」聖霊社刊行
「小谷純一信仰著作集(中)」、翌年同(下)聖霊社刊行
小谷純一大講演会
・愛農高校へ月一回の授業のため来校するも不調を来たし、肺に水が溜まり、心臓も弱り、以後在宅療養。聖霊誌の巻頭言は隔月に執筆
和歌山ビック愛にて「小谷純一との対話集会」開催
脳梗塞で倒れ入院加療
10月1日 12時26分 94歳6ヶ月、召天