三重県伊賀市別府690-1

創始者

スクリーンショット 2016-03-10 14.19.22 故 小谷純一 略歴
1910年(明治43年)3月21日生。京都帝国大学農学部卒業後、全国各地の農民道場の創設に参与し、肺結核に倒れ、医師からあと2ヶ月の生命と言われたが、玄米正食療法によって起死回生。大阪府立農学校教諭、和歌山県青年師範学校教授を歴任。敗戦と同時に教職を辞し、念願の百姓になり、水田90a・畑50aの自家経営をしながら、自宅を開放して愛農塾を開設。これが発展して全国愛農会となり、三重県青山町に愛農根本道場(愛農高校の前身)が創立される。機関誌「愛農」、「聖霊」誌などを創刊。愛農短期大学講座、聖霊信仰大会、聖書研究短期大学、を開催。1964年から12年間、愛農学園農業高等学校初代校長をつとめたのち、同学園長に。2004年10月1日昇天。

小谷純一書籍
『愛農救国の書』全国愛農会発行、1950年
『愛農救人類の書』全国愛農会発行、1958年
『小谷純一信仰著作集(上)』聖霊社発行、1997年
『小谷純一信仰著作集(中)』聖霊社発行、1998年
『小谷純一信仰著作集(下)』聖霊社発行、1999年..
 

1910

   3月21日に和歌山市小豆島にて、小谷茂一、タケノの長男として生まれる

1933

   京都大学農学部卒業

1934

   坂部和子と結婚、1年後第一子が生後3日目に召天、献(ささぐ)と命名。 その後夫婦そろって肺結核に倒れ、闘病生活に入る。医師からあと2ヶ月の命と診断されたが玄米正食によって起死回生

1940

   大阪府立農学校教諭及び、全国各地の農民道場の創設に参与する

1941

   長男 寿一誕生

1943

   長女 惠子誕生

1944

   和歌山青年師範学校教授を歴任

1945

   敗戦と同時に教職を辞し、水田90a 、畑50a の自家農業経営に従事
   教え子16人と共に和歌山市の自宅で愛農塾を開設

1946

   自宅を本部として愛農会を創設、会長小谷純一。
   機関誌「愛農」創刊
   次女 道子誕生

1948

   「愛農新聞」第1号発刊、8月、第1回求道者信仰講習会開催

1950

   「愛農救国の書」を著す。愛農会本部刊行
   祈りの中で示された会員の信仰通信「聖霊」誌第1号発行、(ガリ版刷)

1952

   社団法人全国愛農会創立総会開催、会長小谷純一、副会長山本哲夫

1954

   愛農根本道場開設(後に長期根本道場と改称)

1955

   愛農会事務局を小谷宅から三重県那賀郡青山町の現在地に移転(現在は伊賀市別府)
   第1回愛農短期大学講座、花嫁大学講座開講(1977年に両講座が合流し、愛農大学講座と改名、今日に至る)

1957

   「愛農救人類の書」を著す。愛農会本部刊行

1958

   第1回夏期聖書研究会開催、以後、毎年1月と8月に開催、今日に至る

1960

   愛農会会長を退任し、以後は学園長として教育に専念

1963

   愛農学園農業高等学校設置認可、学校長に就任

1964

   愛農学園農業高等学校開校式及び入学式挙行

1970

   聖霊誌巻頭言に「憲法九条を死守せよ」を創始者の遺言として執筆

1971

   愛農青年全国決起大会(群馬県を主会場に開催、青年会問題)開催

1972

   第27回聖書研究会で、梁瀬義亮氏を迎え「除草剤、化学肥料など農薬公害について」警告を受け、以後無農毒有機農法に転換。

1972

   愛農誌に「愛農運動の本質と今後の課題 日本民族の生命を毒の洪水から救う道」を執筆

1975

   愛農シンクタンク研究会を提唱、第1回研究会を開催。元敬善氏らの招きを受け訪韓、農民有志に講演

1976

   韓国再訪問、「韓国正農会」誕生

1983

   インドに有機農業をという牧野一穂氏の要請を受け、インドプロジェクト開始

1995

   愛農会創立50周年の集い開催、同12月正農会創立20周年のため訪韓

1996

   第1回韓日交流研修会、以後韓国と交互に開催(愛農会本部)

1997

   小谷純一米寿祝賀会(同窓会)開催。「小谷純一信仰著作集(上)」聖霊社刊行

1998

   「小谷純一信仰著作集(中)」、翌年同(下)聖霊社刊行

2001

   小谷純一大講演会

2003

・愛農高校へ月一回の授業のため来校するも不調を来たし、肺に水が溜まり、心臓も弱り、以後在宅療養。聖霊誌の巻頭言は隔月に執筆

2004

   和歌山ビック愛にて「小谷純一との対話集会」開催
   脳梗塞で倒れ入院加療

2004

   10月1日 12時26分 94歳6ヶ月、召天